しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。
ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、
それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。
(第一コリント8:7)
知識があれば、確かに、偶像の神は「実際にはないもの」と考えることができます。
しかし、すべての人が、このような知識を身に着けているとは限りません。
信じる前の習慣で、偶像をあまりにも現実的なものとして捉え、なじんできたため、
頭では「偶像の神は存在しない」と分かっていても、
なかなか、その知識に生きられず、偶像のリアリティーを払しょくできない人もいました。
そういう人にとって、偶像にささげた肉を食べることは、かなり抵抗を感じます。
知識のあるクリスチャンが、「偶像なんかいないから大丈夫だよ」と言っても、
それは確かに正しいことですが、
言われた側は、越えてはならない一線を超えるような気持ちで食べることになるのです。
何か悪いことをしているかのような気持ちになるのです。
すなわち、「弱い良心が汚れる」のです。
そうならないための配慮が、知識のある人には求められます。