あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。
独身の男は、どうしたら主に喜ばれるかと、主のことに心を配ります。
(第一コリント7:32)
迫害ないし災害等の緊急事態化にあったコリント教会において、
既婚者は配偶者を思うがゆえに、心配せざるを得ませんでした。
「自分ひとりでは英雄である男といえども、
妻を未亡人にしたり、子供を父なし子にしてしまうことを思うと、
怖気づいてしまうものである」(ライトフット)。
この類の心配が思い煩いとなって、忠実な信仰生活を妨げる危険があります。
しかし独身の男は、主のことに心を配り、主に専心します。
ですから、独身の男は、独身のままでいられるなら、そうしなさいとパウロは勧めました。
なぜなら、この時のコリント教会は、危急の時を迎えており、
結婚によって、かえって信仰生活が停滞する可能性があったからです。
もちろん、平時であれば、結婚に召されている男女は、その道を進んでよいのでしょう。
その際、結婚した男女にとっても、大事なのは、思い煩わないことであり、
どうしたら主に喜ばれるかを求め、何よりも主のことに心を配ることです。
独身者であれ、既婚者であれ、
大切なのは、主に喜ばれることは何かを追い求めることなのです。