なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、
また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。
そうでなかったら、あなたがたの子供は汚れているわけです。
ところが、現に聖いのです。
(第一コリント7:14)
夫・妻が未信者の場合、相手が結婚の継続を望む限り、別れてはいけません。
なぜなら、その配偶者は、信者によって「聖められて」いるからです。
これは、未信者の夫・妻が「救われている」という意味ではありません。
救いは婚姻関係によって、与えられません。
「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」(ローマ10:10)。
このみことばにあるとおり、福音を聞き、理解し、信じ、告白した人が救われるのです。
未信者の夫・妻も、信じ告白しなければ救われません。
しかし、未信者の夫・妻も、神の祝福にはあずかります。
結婚の絆は強いので、一方が救われれば、その恵みは他方にも注がれます。
親子関係も同様です。
信者の子供も「聖められ」ます。
これも、救われるという意味ではなく、神の祝福にあずかるということです。
この箇所を根拠に、信者の子は救われているとし、幼児洗礼を授ける教会があります。
しかし「信じてバプテスマを受ける者は、救われます」(マルコ16:16)とあるとおり、
バプテスマは信じた人が受けるものです。
理解して信じることができない幼児へのバプテスマは、全く間違っています。
しかし、信者を通して、未信者の家族が聖められ、祝福にあずかることは本当です。
家族における信者一人の存在は、決して小さくありません。