第一コリント 5 : 3

 

私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、
現にそこにいるのと同じように、
そのような行いをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。

(第一コリント5:3)

 

この手紙をパウロは、エペソで書いています(16:8)。
エーゲ海を挟んで、コリントとエペソは400キロの距離。
大きな問題が起こっているコリントに、
みこころであれば、すぐにでも乗り込みたいパウロですが、
それが叶わない今は、ここエペソから、コリント教会のためにできることを実行しました。

教会の中にはびこる不品行、
特に父の妻を妻とする、異教徒も驚くような罪に対して、何もしないコリント教会でしたが、
パウロはこの罪に対して即座に反応し、行動を起こしています。
それは、「主イエスの御名によってさばく」ということでした。
罪を犯した人は特定されていましたし、彼らに悔い改めが見られないことも明確でした。
彼らの罪は、キリストのからだである教会を意図的に破壊するものでしたから、
パウロは彼らを罪に定めたのです。

罪はあいまいにすべきではありません。
もちろん聖書は他人のあらさがしをすることは禁じています。
同時に、明確な罪をあいまいに取り扱うことも禁じているのです。
罪をあいまいにすれば、悔い改めは生じることがなく、
悔い改めがなければ、罪の赦しも、回復も、希望も、平安も、栄光もないのです。