神の国はことばにはなく、力にあるのです。
(第一コリント4:20)
自分では正しいと思っているが、実際は霊的に幼く、判断を誤り、
わがままな王様のような危うい状態にあるコリント教会。
何も分かっていないのに、
「自分はできる、分かっている、構わないでほしい、指図しないでほしい」と反発する彼らを、
親のような愛をもってパウロは戒めています。
そこまで言うなら、口先だけではない、本当の信仰の力を見せなさい、と一喝しました(19)。
なぜなら、「神の国はことばにはなく、力にある」からです。
コリントの教会員は、指導者批判において、もっともらしい分析を互いに語っていたでしょう。
ギリシャ的な知恵で、この人こそ真の教師だ、あの人はここが問題だ、といった具合いに、
上手な批評を展開していたのでしょう。
しかし、彼らの生活に、生きて働く神の力が見られたかというと、そうではありませんでした。
たとえば5章に見られる不品行・偶像礼拝・酔酒、6章に見られる裁き合い、
8章に見られる知的高慢など、およそ神の国とはかけ離れていたのが実状でした。
人のことを批判しているが、あなたがたの現状はどうなのです、とパウロは諭すのです。
「兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気づかない」ことがないように、
まず自分の生活から「梁を取りのけ」ましょう(マタイ7:1~5)。