こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。
(第一コリント4:1)
今日から4章に入ります。
1:10から始まった教会分裂問題も、この4章で終了です。
16章ある中の4章、すなわち4分の1をこの問題にパウロは費やしており、
それだけ重要な問題だったということが分かります。
教会分裂の根っこにあるのは、人間の知的傲慢さであると、パウロは指摘してきました。
「こういうわけで」と、パウロはこれまで語ったことに基づいて、一つのことを命じます。
それは、教師たちをどのように見るべきかということです。
クリスチャンは、教師を「キリストのしもべ、また神の奥義の管理者」と見るべきです。
「しもべ」とは、キリストの召使いであり、キリストに仕える人です。
「神の奥義の管理者」の「管理者」とは、大農園の監督者のこと。
地主のしもべとして、農園と労働者をあずかっている、現場の責任者です。
教師とは「神の奥義」の管理者として、聖書の教えを主人である神からあずかり、それを教会の人々に教え、養う人のことです。
神に立てられた牧師・教師を、キリストのしもべ、神の教えの管理者と考えましょう。