もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、
自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
(第一コリント3:14~15)
キリストを土台とした人、すなわちクリスチャンは皆、救われます。
あるクリスチャンは、神に喜ばれる資材(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制など)で人生を建て上げ、神様から褒美をいただきます。
あるクリスチャンは、人間的、肉的な資材(不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興など)で建てあげられた人生が神の炎で焼き尽くされる中、火の中をくぐるようにして助かります。
キリストを信じている人は、どんな人生であれ、滅びることはありませんが、それなりの違う結果となりますから、
人生を「どのように建てるかについては、それぞれが注意しなければなりません。」(10)。
パウロやアポロなどの指導者は教えることはできても、誰かの代わりにその人の人生を生きることはできません。
キリストを土台とし、聖書の教えに従って、どのように人生を建てあげるかは、一人一人にゆだねられています。
そして、それぞれの人生にふさわしい報いを神様は公平にお与えくださるのです。