それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。
(第一コリント3:7)
パウロは自分たちの働きを農作業にたとえました。
パウロが植えて、アポロが水を注ぎました。
しかし、パウロは、たいせつなのは植える者でも水を注ぐ者でもないと言います。
たいせつなのは、成長させる、神なのです。
もちろん、パウロやアポロを大切にしなくてよい、という意味ではありません。
パウロが言いたいのは、人ではなく、神を見るようにということです。
私はパウロ、僕はアポロ、うちはペテロというように、人につながるべきではありません。
第一にすべきは神です。
神が大切だからこそ、神に仕える教師や、神の家族である兄弟姉妹をも大切にするのです。