第一コリント 3 : 5

 

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。
あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、
主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

(第一コリント3:5)

 

「私はアポロが好き」「私はパウロがいい」といって、混乱していたコリント教会。
その原因は、聖書に聞かず、聖霊を拒み、世の知恵・基準・常識で生きたことでした。
結果、成長の止まった霊的乳飲み子となり、
わがままな自己中心性が教会内で幅を利かせていたのです。

パウロはさらに話を進め、パウロやアポロが神のしもべにすぎないとを強調します。
「あの先生、この先生と騒ぐのはやめなさい。皆、神のしもべにすぎないのだ」というわけです。
パウロやアポロは、神様に用いられる道具にすぎないのであって、
神様から授けられたとおりのことをしているだけです。
すばらしいのは、パウロやアポロに力と知恵を与え、用いてくださる神様です。
それなのに、あたかもパウロ教、アポロ教でもあるかのように、
人をあがめたてまつるのは、愚かなことです。
働き人の背後におられる神に、私たちは目を注ぐべきです。
働き人もまた、主から授けられたことに忠実であらねばなりません。