「というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、
すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。」
(第一コリント1:5)
前節で、パウロは、コリント教会に与えられた恵みのゆえに、
神に感謝をささげました。
どのような恵みかといいますと、
ことばや知識など、すべてにおいてキリストにあって豊かにされる、
という恵でした。
「ことば」とは教える能力のことです。
「知識」とは聖書理解の正しさや深さのことです。
教会全体が、聖書を理解し教えることにおいてすぐれていました。
さぞかし素晴らしい教会だったろうと思いますが、現実はそうではありませんでした。
彼らが、それを誇りとしてしまったからです。
パウロは、そのことを後でじっくり取り扱っていますが、
あいさつの部分では、それとなく触れるにとどめています。
教会の中心は聖書です。
聖書の知識がクリスチャンには必要であり、
それゆえ、教える人が立てられています。
聖書を正しく理解し、知識があっても、
実践が伴わなければ意味がありませんが、
聖書の健全な教えを学んでいないことは、より根本的な問題です。
そえゆえ、パウロは、コリント教会の誇りや高ぶりには後で触れるものの、
ここでは、彼らの聖書理解の豊かさを高く評価しているのです。
それは神の恵みであり、誇るのではなく、神に感謝すべきことでした。
聖書の学びがおろそかにならないように注意しましょう。
礼拝やその他の集会、教会学校などを通し、聖書の学びは実践されています。
おかしな教理や教えが吹き荒れている昨今は、
なおさら注意深く、聖書を学ぶことが大切なのです。