「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたの上にありますように。」
(第一コリント1:3)
パウロは手紙の挨拶で「恵みと平安」を好んで使います。
クリスチャンにとって、「恵み」はすべての源泉です。
生かされていること、救われていること、神を信じることができること、
神を思い、愛し、従いたいと思えることは、恵み以外の何ものでもありません。
神様の恵みがなければ、
霊的に死んでいた私たちは、神様を求めることすらできなかったのです。
霊的死者であった私たちが、聖霊によって新しく生まれたのは、
私たちの側に何ら原因があるのではなく、ただ神の恵みです。
その結果、私たちは「平安」をいただいています。
単に心が静かで波立たないとうことではありません。
平安とは、神との平和であり、神との生き生きとした関係がある状態のことです。
恵みによって神の子供とされたクリスチャンは、
父なる神との豊かな、濃密な、密接な交わりの中に入れられたのです。
これが平安です。
この恵みと平安は、父なる神と御子イエスによって与えられます。
救いは父なる神の意志であり、イエスはそれを実行された神です。
加えるなら、この恵みと平安は、聖霊によって罪人に付与されるのです。
神の「恵みと平安」があることは、人間にとって、これ以上望み得ない幸せです。
それゆえ、パウロはコリント教会の教会員にこのことを祈りました。
私たちも互いに、恵みと平安があるように祈りましょう。