第一コリント 12 : 3

 

ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。

(第一コリント12:3)

 

クリスチャンであるか否か。
それは、神の御霊(聖霊)を受けているか否かによって決まります。

私たちが異教徒であったときは、聖霊を受けていませんので、
どう導かれても、引かれていく先は、偶像でした(2節)。

しかし、聖霊を受けた今は、どうやっても、イエスのもとに導かれます。
例えば、「イエスはのろわれよ」という趣旨のことは決して言いません。
また、「イエスは主です」と何のためらいもなく言えます。
聖霊を受けていない人は、だれも「イエスは主」ということはできません。
口先で言うことはできたとしても、心からの言葉としては決して発することができないのです。

クリスチャンの心に、イエスを慕う心があり、それをどうしても拭うことができないのは、
聖霊が内住しているからです。
聖霊は、消えることのない火種のように心の中であたたかく燃え続け、
常に私たちの内側に神への思い、イエスへの愛をかきたてるのです。

こういうわけで、私たちの信仰生活は、聖霊によって常に支えられ、導かれています。
私たちは弱くても、私たちの内におられる方は強く優しく正しく、私たちを支え守り導いてくださいます。
このような聖霊を賜物として与えられていることは、なんと感謝なことでしょうか。