人に思慮があれば、怒りをおそくする。
その人の光栄は、そむきを赦すことである。
箴言 19:11
人として貴い行為。
それは、そむきの罪を赦すことだとあります。
もちろん、そむきの罪を悪いとも思わず、
悔い改めも謝罪もない場合のことではありません。
そむきの罪を悪かったと反省し、
関係の回復を求める相手に対しては、
思慮深く対応し、怒りを遅くし、罪を赦し、
和解への道を歩みましょう。
なぜなら、神は怒るのに遅く、
赦すのに速いお方だからです。
神ほど思慮があり、あわれみ深い方はおられません。
クリスチャンは、神の思慮と怒りの遅さと
赦しのあわれみを知っているがゆえに、
他の人に対して、同じように対応したいものだと思います。
主は怒るのにおそく、恵み豊かである。
咎とそむきを赦すが、罰すべき者は必ず罰して、
父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす
民数記 14:18
これは、わたしの契約の血です。
罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイ 26:28
もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父も
あなたがたを赦してくださいます。
マタイ 6:14